本文を表示
寝付けない。でも眠らなきゃ。
よく寝て、すっきり起きて、明日早く事務所に行って仕事しなきゃ。
あちこちから電話がかかってきて手一杯になる前に、
先生が来て気まぐれに用事を言いつけられてパニックになる前に、
私の机の上にある山積みの書類を片付けなきゃ。
依頼者から来た速達の中身を整理しなきゃ。
裁判所や債権者を待たせて、先生の評判が下がったり、
事務所に迷惑を掛けないようにしなきゃ。
過労死しないために、仕事を途中で打ち切って、いつもよりも少し早く帰ったのに、
いつもよりも少し早く布団に入れたのに、全然寝られない。
気持ちばかり焦る。寝なきゃ。明日の仕事に差し支えてしまう。
これでは、終電で帰って布団に倒れこむよりも、もっと悪い。
自律神経失調症? そんなことは言われなくても解っている。
だから、リラックスして寝られるように、今日はやるべき仕事を少し残したまま、
家に帰ったのではないだろうか? そうなんでしょう?
ゆっくりご飯を食べて、お風呂に入って、しばらくボーっと頭を休めて、
満を持して睡眠導入剤を飲んで、布団に入ったんじゃないのか?
何で寝られない? 寝ろ! 絶対に寝ろ! 私!!
やるべき仕事を絶対に明日に延ばしてはいけないという決まりは、
組織人としては確かに正しい。
でも、これを無理に守ってしまうと、その先にあるのは過労死だ。
そして、この国の人達は、このように過労死した人に同情してくれないだろう。
過労死するまで仕事をするのはアホだ、何で自分で自分の体に責任を持って休まないのか、
自己責任だと言われて終わりだろう。
仕事を明日に伸ばす工夫が足りないと言われて、その死は笑いの対象になるだろう。
確かにここは自業自得である。私は、自分の自由意思で仕事を片付けようとしている。
評論家は、仕事の段取りを立てろという。計画的に仕事をしろと言う。
しかし、法律事務所というところは、先生が気まぐれに次から次へと用事を言いつけて、
言いつけたことを忘れ、また次から次へと用事を言いつける職場なのである。
先生は、そこから先の書類は自動的にでき上がると思っている。
だから、何で深夜残業になるのか、先生はわかっていない。
別にそれでもいい。私さえ頑張れば、山積みの仕事は平らになるんだから。
そして、頑張るためには、上手く休まないといけない。
だから、今日は上手く休もうと思って、あえて仕事を残して家に帰ったんだ。
でも、完全に逆効果だった。眠れない。
心配で寝られないのか? 仕事が気になって寝られないのか?
違う。気持ちではない。体の症状だ。
仕事が溜まる。心に溜まる。やるべき仕事が全身に溜まる。手先から足先まで溜まる。
楽になりたい。楽になればいい。どうすればいい? 簡単だ。投げ出せばいい。
しかし、投げ出してしまったら、どういうことになるか?
気持ちが切れる。怠け癖という、一番怖い症状に捕らわれてしまうのだ。
私が仕事を明日に延ばさないでこれまで無理に頑張ってきたのは、
気持ちが切れた時の立て直しの大変さを知っており、これを恐れたからである。
放置癖である。仕事が溜まりに溜まると、逆に暇に見えてくる。
その典型が、先生である。仕事のやる気がない。楽して大金を稼ぐ方法ばかり考えている。
月に3回もゴルフに行っている。その倍はゴルフの練習に行っている。
しかし、先生の場合はいい。その分、私が何とかできるからである。
投げ出しても代わりがいる。サボっても代わりがいる。
私はそうは行かない。私が放置癖に捕らわれてしまえば、大変なことになる。
仕事の責任とか、迷惑とか、そのようなレベルの話ではない。
働きすぎて鬱病になったしまった人の多くは、恐らくこのパターンである。
命令する人ではなく、命令される人の側である。
真面目な人ほど、やるべきことに押し潰されると、針が大きく反対側に振れる。
怠け癖がつく。ひきこもりになる。気力が沸かない。ニートになる。社会復帰できない。
責任感があると言われた人間が、逆に無責任な人間になり、廃人同様に堕ちる。
私は今、自分が崖っぷちにいるのがわかる。
このまま眠れず、明け方になってから眠りに落ち、仕事を休んでしまったら、
あとは転落するだけだろう。そこから気力を奮い立たせるだけの力は残っているのか?
計画的に仕事をしようとし、久しぶりに早く家に戻った自分の選択が、
単なる愚かな間違いであった現実を前に、ますます目が冴える。寝られない。
山積みの書類に手を付けなきゃ。でも、どこから手を付けたらいいのか?
手が付けられないままでは、私は書類に全身を押し潰される。
怖い。怖い。怖い。
私は一線を越えかかっている。ここに入ると危ない。
私は崖の上を歩いている。崖下には深い暗闇が口を開けている。
危ない。危ない。危ない。
私は、開き直ることができていれば、今日はとっくに寝ているだろう。
メリハリをつけて、今日は早く帰った分、
あとは連日の深夜残業だと腹を括ることもできただろう。ここは、私の性格である。
ここで一睡もできないなら、明日はとても深夜残業などできやしない。
それならば、山積みの書類はどうすればいいのか?
先生が書くと思っていた訴状を、私が書くことになった。
先生が書くと思っていた内容証明を、私が書くことになった。
先生が書くと思っていた陳述書の原案を、私が書くことになった。
先生が書くと思っていた証人尋問のシナリオを、私が書くことになった。
しばらく前に受けた破産事件も、破産申立書がなかなか完成しないものが溜まっている。
預金通帳を送ってもらうだけで3か月かかった。30回電話した。
ようやく送ってもらったら、おまとめ記帳が3か所もあった。30回電話した。
その取引履歴を送ってもらうのに、また3か月かかった。30回電話した。
今日届いた速達は、その取引履歴であった。
3か月待たせておいて、速達も何もないだろう。
中身を見た。愕然とした。
おまとめ記帳の3か所の取引履歴をお願いしたのに、2か所しか入ってない。
何もかもバカバカしい。もう投げ出したい。
しかし、私が投げ出せるような人間だったら、今頃はぐっすり寝ているだろう。
そして、明日の朝はスッキリ起きて、また依頼者に催促の電話をするだろう。
夜も寝られず、次の日の仕事に差し障るような人間を、
この社会は責任感が強い人間であるとは評価しないだろう。
人は遊んで徹夜しても、睡眠不足で死ぬことはない。
睡眠不足による死に直結するのは、布団の上で意識があって苦しむ者だ。
依頼者が必要な書類を集められないのは、自分の説明が下手だからだ。
そうやって、責められる言われのない自分を責めて、悦に入るより他ない。
私はこれまで何とか生きてきたのは、
その日にやるべき仕事を、次の日に延ばさなかったからである。
それでも仕事は溜まる。目に見えて書類は山になる。但し、限度を超えたことはなかった。
このような仕事の処理によって、自分の頭も何とか整理され、気力が続いていた。
それによって、何とかつないでいた。
何をつないでいたのかと言われれば、何かであるとしか言いようがない。
山とは、書類の山であり、パソコンにいくつも重ねて出ているウィンドウであり、
自分の頭の中の山である。これは一瞬では消えない。1つ1つ消すしかない。
そして、深夜まで仕事をして帰ると、私はぐっすり寝られたのだ。
眠りは深かった。変な夢も見なかった。朝の目覚めもよかった。
恐らく、仕事を片付けた充実感によるものだろう。
疲れた、とは認識しているものの、これは実に心地よい疲れである。
疲れて休んでしまうと、次に動き出すのが大変であり、私は止まることを恐れた。
仕事を先手先手でやっていると、見落としがない。頭もスッキリする。
しかし、後手後手になると、思わぬ見落としがある。
このミスの処理がまた苦しい。精神的に打ちのめされる。
他人から責められ、自分で自分を責め、他の仕事ができなくなり、心が疲れ果てる。
その恐れを知っている者は、精神に余裕を作り、先手先手で全ての事件を見渡す。
思わぬミスをしているものがないか、忘れていることはないか、常に気を配る。
そして、その方向に頭が回るためには、やはり心身が健康でなければならない。
私の残業時間は月に100時間を超えたが、私は過労死するとは思えなかった。
先生が帰り、横から気まぐれであれこれ言われる恐れのない状態で書類を作っているとき、
私は自分のペースで順調に仕事に進み、気力が充実していたからである。
残業代も出なかったが、私は不満に思わなかった。お金が欲しいとは思わなかった。
そんなことよりも、一度気持ちが切れてしまい、元に戻らなくなることを恐れた。
過労死や過労自殺の裁判で、勤務時間だけで何の意味があるだろう?
私は今日、無理に仕事を途中で切り上げて、残業時間を短くしたのである。
そして、その結果、明らかに死のほうが私に近付いてきたのである。
仕事が溜まれば自分が苦しい。明日に延ばすと、明日はその仕事はできない。
明日には、明日にやるべきことが思わぬ形で襲い掛かってくる。
急に弁奥が事務所に来ることがある。ピンチである。
二度手間になる。後始末が大変である。仕事が迅速にできない。邪魔される。
仕方ない。弁奥なのだから。私が耐えれば済むことだ。
気持ちが弱っているところに、先生に怒られると、本当に坂道を転がり落ちてしまう。
ここは踏ん張りどころだ。弁奥が来たときこそ、気持ちを弱らせてはならない。
弁奥が帰るのを待って、その日に本来やるべきことを、自分の命を犠牲にして片付ければ、
それで全ては解決するではないか。弁奥のせいではない。私のせいである。
書類を脇に置く。その上に別の書類を置く。埋もれる。放置案件になる。
こうなると、私のせいで、先生が弁護過誤による懲戒処分を受けてしまう。
先生は仕事に飽きてゴルフ三昧になっても、私が何とかすればいい。
しかし、私が仕事に飽きてしまったら、私のせいで先生が責任を負うことになってしまう。
もうこれ以上考えるな。寝ろ!! 私。
もう十分に吐き出しただろう? 生きたいだろう? 死にたくないだろう?
ならば、眠れ! 眠れ!! 私。
絶対に眠れ!!!